大将が銀座に帰ってきました。
「春に足を痛め、しばらく治療に専念していたんです。休んでお客さんにも心配かけちゃったので、料理でお返ししなきゃ」
変わらぬ笑顔の大将こと塩見彰英さんは三代目。大阪でカウンター形式の割烹を営んでいた祖父の安三さんが東京へ進出したのは昭和三年のこと。
昭和二十二年生まれの塩見さんは銀座で祖父の姿を見て育ち、料理の道へ進むのも自然の成り行きだったと語ります。白洲次郎など名士も数多く訪れた店で、若いころから鍛えられてきました。
「いい素材を仕入れて、その日のうちに食べきる、喰い切りの料理がうちの身上。祖父の時代から、まったく変えていません」
「いい素材」の代表が甘鯛です。甘鯛は皮の色が白いと“白皮”、赤は“赤甘”、黄は“黄色”と呼ばれ、味は白、赤、黄の順。白皮は現在、市場で一キロあたり一万六~八千円で取引されています。塩見さんが使う甘鯛は白皮だけ。
甘鯛を使った料理は一塩の焼き物と、ちり蒸し、若布蒸し、蕎麦蒸しの四品で、きょうは塩見さんのすすめで一塩を注文。カウンターでビールを飲みながら待ちます。甘鯛に串を打ち、若狭地というたれをかけながら焼き上げていく様子を眺めていると、香ばしい汐の香りが広がり、身の瑞々しさに驚きます。次の料理を……と品書きを繰れば、五十を超える数に思わず目移り。
「蛤(はまぐり)、はもなど時季が限られるものも載せているのでね。でも毎朝河岸から、できるだけ多くの料理がそろえられるように仕入れをしています。好きなものを好きなだけ食べられることが割烹のよさ。迷ったら目の前にいるので、なんでも聞いてくださいよ」
めまぐるしく変わる時代と街にあっても揺るぎない味を守り、来年は創業百周年を迎えます。 |